SOMPO美術館の
「モーリス・ユトリロ展」に行ってきました。
ユトリロ没後70年を記念した展覧会で、フランス国立近代美術館(ポンピドゥセンター)の所蔵作品をはじめとして約70点のユトリロ作品が集められています。
絵画だけでなく、ユトリロの手稿や母への手紙なども紹介され、ユトリロの人となりを感じられるファンには嬉しい内容になっています。
美術展に行った備忘録として、好きだった展示作品の画像と共に会場解説・音声ガイド・図録などを参考にしながら、日記のような感覚で感想を書いています。 ネタバレを避けてグッズなどの展覧会情報だけを知りたい方は「モーリス・ユトリロ展 情報」までジャンプしてください。 |
「モーリス・ユトリロ展」 感想
モーリス・ユトリロ
モーリス・ユトリロ《モンモランシーの通り》1912年頃 油彩・カンヴァス 公益財団法人ひろしま美術館
モーリス・ユトリロは20世紀初頭のパリの街並みを描いた エコール・ド・パリ★の画家として、日本でも人気の高い画家です。
母や祖母の影響で幼少期からアルコール依存症を発症したユトリロは、主治医による勧めがきっかけで絵画制作を始めると、すぐに才能を開花していきました。
★ エコール・ド・パリ フランス語で「パリ派」を意味し、20世紀初頭にパリで活動したアーティストたちを指す。産業革命での経済成長もあいまって「ベル・エポック(美しい時代)」が1914年の第一次世界大戦勃発まで続いたパリには、世界各国から芸術家が集まり、パリで出会った芸術を吸収しながらも特定の芸術運動には属せず各自の芸術スタイル確立。モンマルトルやモンパルナスなどを制作拠点に活動した。ユトリロ以外には、ピカソやシャガール、モディリアーニやモンドリアンなどが代表的。 |
展示構成
―ユトリロを知るための3つの時代
ユトリロの絵画様式は一般的に3つに分類されるそうです。
今回の「モーリス・ユトリロ展」でもこの分類に倣って3つのセクションで展示されています。
- モンマニー時代
- 白の時代
- 色彩の時代
モーリス・ユトリロ展 白の時代 展示風景
印象派のピサロやシスレーの影響を受けて絵を描き始めた「モンマニー時代」から、独特なスタイルへと発展させ流行画家となっていった「白の時代」、そして、第一次世界大戦で失われゆくパリの町並みを描き続けてますます人気をはくした「色彩の時代」。
生涯においてアルコール依存症に苦しみながらも、何点もの傑作を制作したユトリロの人生をたどっていける構成になっています。
各時代から私のお気に入りの作品をいくつか記録として残しておきたいと思います。
モンマニー時代(1904-1908)
「モンマニー時代」は「画家ユトリロ」のはじまりの時代。
当時親族の家があったパリ近郊とモンマニーを往復していた時期を指します。
モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo, 1883-1955)はパリのモンマルトルで「モーリス・ヴァラドン」として生まれました。
母はシュザンヌ・ヴァラドン(Suzanne Valadon, 1865-1938)。
母は自身がエドガー・ドガに師事した画家であり、ルノワールなど有名画家のモデルも務めた恋多き女性で、ユトリロの父親が誰なのかは生涯明かされることはありませんでした。
8歳の時に当時の母の恋人に息子として認知されたことで「モーリス・ユトリロ」となったそうです。
絵画にモデルに恋愛にと忙しい母に代わって幼いユトリロの面倒をみたのは祖母でした。
寂しい環境のなか母や祖母の影響でお酒を覚えたユトリロは、1904年、20歳のときにアルコール依存症のため入院。
精神の過剰な興奮のはけ口として医師からすすめられたのが、絵を描くことでした。
モーリス・ユトリロ《モンマルトルのサン=ピエール広場》1908年頃 油彩・カンヴァス 八木ファインアート・コレクション
ユトリロがモチーフとして選ぶのは、彼にとって身近な風景 、モンマニーとモンマルトルの風景でした。
当時のユトリロは印象派の画家(とりわけシスレーやピサロ)から影響を受けていたそうで、緑、黄色、青など明るめの色を筆触で積み重ねて描かれた作品はこの時代にのみ見られる特徴とのことでした。
この《モンマルトルのサン=ピエール広場》もそのひとつだと思われます。
全体的に点描がかった描き方と明るめな色彩で表現された町並み、やわらかな青空とのバランスがとても綺麗でした。
モーリス・ユトリロ《ヴィルタヌーズの城》1908-09年頃 油彩・厚紙 パリ・ポンピドゥセンター/国立近代美術館・産業創造センター
それに比べるとこちらの《ヴィルタヌーズの城》は全体的に暗めな色調で表現されています。
1908年頃のユトリロは、糊や砂を混ぜた石灰やセメントを使った独自の原料を作って押しつぶし、黒やジンクホワイトといった限られた色彩と一緒に使用していたそうです。
モーリス・ユトリロ《大聖堂、ランス(マルヌ県)》 1908-09年頃 油彩・カンヴァス 八木ファインアート・コレクション
《大聖堂、ランス(マルヌ県)》になるともっと暗い画面になっています。
ユトリロは生涯にわたって様々な教会建築を描いていますが、中でもこのようなゴシック様式の大聖堂が圧倒的に多いのだとか。
同じような黒っぽい色合い、しかしどれも絶妙に異なる色彩を組み合わせて、ゴシック建築の古く荘厳な質感が表現されていました。
空の色一つとっても単純な色ではなく多様な色が遣われていて、ユトリロならではの独特の空気感が添えられているように思いました。
白の時代(1910-1914)
1909年を前後して、ユトリロは「白」を基調とした独特な質感を表現した絵を描き始めました。
僕は絵の秘訣を悟ったよ
つまり、白で塗らねばならないということだ
一般に「白の時代」と呼ばれたこの頃は、ユトリロの画業が最も充実した時代でありながら、一方で、ユトリロの精神状態が不安定な時代でもありました。
モーリス・ユトリロ《ベルト王妃のらせん階段の館、シャルトル(ユール=エ=ロワール県)》 1909年頃 油彩・カンヴァス 八木ファインアート・コレクション
《ベルト王妃のらせん階段の館、シャルトル(ユール=エ=ロワール県)》では、実際には木の漆喰だった外壁の格子状の部分をわざわざ白で表現していて、白への相当なこだわりや執念のようなものを感じます。
ユトリロが作る白は単純なものではなく、灰色がかった白、黄みがかった白など様々。
質感表現に至っては、絵具に石膏や砂、時には鳥のフンなども加え、ざらつきや凹凸、重量感などを表現していました。
まさに「白って200色あんねん」ってやつですね。
次の《クリニャンクールのノートル=ダム教会》になると、建物の白はより黒ずんでいて重く古びた表現が成されています。
カラフルなステンドグラスとのコントラストが目を惹く作品です。
モーリス・ユトリロ《クリニャンクールのノートル=ダム教会》1911年頃 油彩・カンヴァス 八木ファインアート・コレクション
「白の時代」はユトリロの画家としての絶頂期であり、作品が高く売れて名声も高まりました。
しかしながら、ユトリロにとっては精神的な部分で非常に不安定な時代でもありました。
1914年に母ヴァラドンがユトリロの友人アンドレ・ユッテル(画家志望でユトリロより3歳年下)と交際ののちに結婚したこと、1915年に徴兵検査が失格になったことなどに起因して、精神病院への入退院を繰り返していたそうです。
モーリス・ユトリロ《ラパン・アジル》1910年 油彩・カンヴァス パリ・ポンピドゥセンター/国立近代美術館・産業創造センター
そんなユトリロがこの頃に足繁く通ったキャバレーが「ラパン・アジル」です。
「跳ね兎」を意味するこのモチーフをユトリロは生涯において繰り返し描き、その数は300点を超えるといわれています。
1910年に描かれたこちらの《ラパン・アジル》はその最初期のもので、すこし歪みのあるような構図、後ろ向きの人物、時間帯が明確にわからない空の色などが相まって、不思議な雰囲気をかもし出しています。
モーリス・ユトリロ《「可愛い聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)》 1912年頃 油彩・カンヴァス 八木ファインアート・コレクション
白の時代のセクションで特に印象的だった作品がこちらの《「可愛い聖体拝受者」、トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県)》でした。
タイトルはユトリロの母ヴァラドンが聖体崇拝の日に夢に出た少女に由来するそうです。
静寂に包まれた澄んだ空気と冷たく隙のない壁の質感が、汚れのない清潔で高貴なオーラをまとっているようでした。
「美しい」としか言いようがありません。
モーリス・ユトリロ《ベル・ガブリエルの酒場、サン・ヴァンサン通り、モンマルトル》1916年頃 油彩・パネル 個人蔵
当時《ベル・ガブリエルの酒場、サン・ヴァンサン通り、モンマルトル》で働くマリーさんが好きだったらしいユトリロ。
同じモチーフの別作品ではハートマーク♡が描かれているものもあるとか。
精神的に苦しい時期を過ごしていたユトリロなだけに、こういうエピソードがあって良かったなと勝手に思っていました。
色彩の時代(1920-1955)
1915年頃を境に白の時代は停滞し、はっきりした輪郭線と色鮮やかな「色彩の時代」に移行していきました。
第一次世界大戦で失われゆくパリの町並みを描き続けたユトリロは画家としての名声をよりいっそう高めていきましたが、1920年代にはいると、ユトリロの生活は一変します。
母ヴァラドンと結婚し、元友人から義父となったユッテルがユトリロを"金づる"とみなし、軟禁状態で制作させたお金で暮らすようになったのです。
ユトリロは絵葉書や写真、記憶を頼りにモンマルトルの街角やフランス地方の風景を描いたのだそうです。
モーリス・ユトリロ《シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂》1935年 油彩・カンヴァス 公益財団法人ひろしま美術館
ここまでくると母と息子の関係が崩壊してもおかしくないように思えてしまいますよね。
《シャラント県アングレム、サン=ピエール大聖堂》や《モンマルトルの眺め》にみられるように、この時代にユトリロが描いた臀部を強調した女性の描写は「女性嫌悪(ミソジニー)」の表出として解釈されています。
しかし、母子の間にはしっかりと愛情はあったようです。
画家でもあった母ヴァラドンの作品には幼いころからユトリロが幾度となく登場し、残された言葉からもまたユトリロをこころから愛していたのだというのが伺えました。
そして息子ユトリロもまた、最後まで母を敬愛していました。
ユトリロの手稿「お母様へ」ではこんな言葉が残されています。
ひとことで言えば、彼女は私にとって、
その胸に私を抱き、命と甘露を与えてくれた人。
その高貴な芸術によって、
すでに私の望みは満たされた。
彼女こそ、私が愛し、崇める
― 敬虔なる愛を捧げる人。
モーリス・ユトリロ《モンマルトルの眺め》1926年 グワッシュで彩色されたリトグラフ・紙 パリ・ポンピドゥセンター/国立近代美術館・産業創造センター
ユトリロのサインの最後にある「V」の文字はヴァラドンの「V」です。
1938年に母ヴァラドンが亡くなった時、ユトリロはショックのあまりお葬式にすら出席できないほどでした。
母であり、先生であった。
シュザンヌ・ヴァラドンだけを愛していた。
モーリス・ユトリロ《サン=ヴァンサン通り、雪のラパン・アジル、モンマルトル》1936-38年頃 グワッシュ・紙 個人蔵
ユトリロ自身は51歳(1935年)のときに母のすすめで銀行家の未亡人リュシー・ポーウェルと結婚しました。
こちらの《サン=ヴァンサン通り、雪のラパン・アジル、モンマルトル》や次の《ラヴィニャン通り、モンマルトル》は結婚後の作品です。
結婚後、ユトリロは初めて母と離れて妻とともにパリを出て、戻ることはありませんでした。
しかし、生涯にわたってモンマルトルの風景を描き続けました。
モーリス・ユトリロ《ラヴィニャン通り、モンマルトル》1940-42年頃 油彩・カンヴァスに貼られた厚紙 個人蔵
人はそれぞれ自分自身の内に
独自の私情のフォルムをもっています。
私はパリっ子だ。
もし田舎が好きだとしても
私が慣れ親しんだ用心深いポエジーを見出すのは
やはりパリなのです。
私は昔からフランス・パリという街に憧れていて実際に行ったこともありますが、いまこの瞬間も頭の中で想像する憧れのパリの風景はずっと変わらず「ユトリロが描いた絵画のようなパリ」なんです。
そう思えるのは、ユトリロ自身が心からパリの街を愛していて、最後まで揺らぐことのなかったその想いが作品を通して観る者にもシンパシーを与えてくれているからかもしれないなと思いました。
モーリス・ユトリロ展、とても楽しかったです。
特にお気に入りの2作品
ムーラン・ド・ラ・ガレット
モーリス・ユトリロ《ムーラン・ド・ラ・ガレット》1910年頃 油彩・厚紙 ポーラ美術館
"ムーラン・ド・ラ・ガレット"といえば、モンマルトルの丘にある風車のあるダンスホール。
ルノワールの有名作品《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》でおなじみの場所ですね。
19世紀のモンマルトルの象徴であり、ここには洋裁店の女性店員、お針子、モデルなど多くの労働者階級、そして画家たちが集いました。
ユトリロもまた生涯にわたってこの場所を描き続けたそうで、こちらの《ムーラン・ド・ラ・ガレット》は「白の時代」に描かれた作品です。
とにかく可愛いくて好きでした。
風車を中央に据えて、こっくりとした絵具で塗り重ねられた画面と複雑な色合いの空模様に癒されます。
人が全く描かれていないというのもまたユトリロらしいというか、静かな佇まいがとても素敵だなと思います。
郊外の教会
モーリス・ユトリロ《郊外の教会》1920年頃 油彩・カンヴァス パリ・ポンピドゥセンター/国立近代美術館・
産業創造センター
1920年頃に制作された《郊外の教会》は、ユトリロが「白の時代」から「色彩の時代」に移行する過渡期の作品です。
この頃のユトリロは精神病院への入退院を繰り返し、アトリエで母から監禁される生活を送っていました。
専門的には「様々な緑が潤沢に使用される一方、鮮やかさや構図の厳密さという観点で、ある種の退行を見せている時期」なのだそうです。
私はこの彩りと暗さが入り混じった画面がたまらなく好きでした。
とりわけ惹かれたのは空の色で、どんよりとした灰色のなかに見える赤と青とオレンジのような色がユトリロの不安定な心を表しているようです。
そんな空を背景にただ静かに建っている古そうなとんがり屋根の教会。
信仰心が強かったユトリロですから、教会の風景を描くことで神様に平穏な日常を願いながら、わずかでも心安らかにできていたらいいなと思わざるを得ません。
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「モーリス・ユトリロ展」情報
グッズ
モーリス・ユトリロ展のグッズをすこしだけ買ってきました。
種類がいつもより少なめでしたね。
ポストカードのサイズ違いとクリアファイルと、あと数種類という感じでした。
ユトリロ作品をグッズにしたら絶対かわいいと思って期待していただけに、ちょっっとだけ残念だったかな。
図録
図録を買いました。
ソフトカバーで小さめなサイズなの、助かります。
全体的に文字量は少なめで気軽に読みやすい構成になっています。
人物相関図の見開きページと、ポンピドゥーセンターでヴァラドン展のキューレターを務められた方の"ヴァラドン側から見たユトリロ"の考察が特に面白かったです。
図録は 2500円(税込) でした。
ポストカード
ポストカードもすこし買ってきました。
本展は作品の撮影OKだったので数は控えめに。
ポストカードは 1枚 165円(税込) です。
手に持っているものだけが一回りサイズが大きい輸入品で展示作品にはなかったはず。
これだけ 198円(税込) でした。
マルチクロス
マルチクロスを買ってきました。
大小サイズがあってこちらは「小」の方で、《パリのサン=セヴラン教会》がモチーフになっています。
メガネケースにさっそく入れておこうと思います。
ユトリロでメガネを拭くなんて贅沢。
マルチクロスは 660円(税込) でした。
音声ガイドと小冊子
音声ガイドは会場レンタルで 650円(税込) でした。
声優の山下大輝さんが担当されています。
また、「鑑賞ガイド」がとても楽しい内容だったのでぜひ貰ってください。
ユトリロの自伝の抜粋がまとめられた10ページくらいの小冊子になっています。
一人称形式で、ユトリロが「パリについて」や「療養院について」などを語っていてとてもおもしろいです。
鑑賞ガイドは作品リストと並んでエレベーター前に置いてありますのでお忘れなく。
混雑状況
平日の昼に行き、ゆったり鑑賞できました。
所要時間
所要時間は1時間半~2時間程度です。
私は解説をすべて読み、写真を撮りながら1つのセクションを2~3周くらいして、1時間半超かかりました。
チケット
チケットは 一般 1,800円 (税込) です。
オンラインで事前に購入すると100円安くなります。
SOMPO美術館はたとえ窓口でチケットを買っても絵柄チケットは貰えなかったと思うので、事前購入がおすすめです。
ロッカー
SOMPO美術館ではロッカーを利用できます。
ロッカーは無料の鍵式で、100円玉も不要です。
撮影スポット
SOMPO美術館ではいつも建物入口横が撮影スポットになっています。
また、本展では展示作品のほとんどが撮影可能でした。
巡回
モーリス・ユトリロ展に巡回はありません。
展覧会情報まとめ
お出かけ前に美術館公式サイトをご確認ください。
以下はすべて東京展の情報です。
展覧会名 |
モーリス・ユトリロ展 |
● 東京会場 |
2025.09.20 (土) – 12.14 (日)
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開室時間 |
10:00 – 18:00
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休館日 |
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混雑状況 | 平日の昼頃・ゆったり見られた |
所要時間 | 1時間半~2時間 |
チケット | 一般当日 1,800円(事前購入で100円引き) |
ロッカー | 無料/100円玉不要 |
音声ガイド | あり |
撮影 スポット |
あり +多くの展示作品が撮影可 |
グッズ | 展示会場「内」のミュージアムショップにて 種類は少なめ |
巡回 |
なし |
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関連情報
●「異端の奇才 ビアズリー展」
2026年1月18日まで「東京 → 福岡 → 高知」と全国を巡回中。
25年の生涯を駆け抜けた新進気鋭の画家 ビアズリーの作品がたくさん集められています。
あの独特な毒のある絵柄がたまりません。

●「スイス プチ・パレ美術館展」(2022)
ユトリロとその母ヴァラドンの作品が同時に展示された展覧会でした。
ヴァラドンが選ぶモチーフはユトリロとはまた違って娼婦を題材にすることが多かったらしいのですが、色遣いや女性の表現がまた美しいんですよね。

●「TRIO展」(2024)
TORIO展ではユトリロの白の時代の作品を観ました。
やっぱりこの時代のユトリロの絵画が好きです。
ユトリロに影響をうけたという日本人画家・佐伯祐三もまた良かった。

▼ 2020年から現在まで、観に行った美術展の感想はこちらにまとめています

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最後まで読んでいただきありがとうございました。
美術展や読書記録の X もやっているので、よければ遊びに来ていただけると嬉しいです。
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