東京都美術館の
『没後70年 吉田博展』に行ってきました。
展覧会のポスターがものすごくキレイで、行かずにはいられませんでした。
これが「版画」だというのですから驚きです。
『没後70年 吉田博展』感想・楽しいポイント
吉田博ってどんな画家?
吉田博は、1876年(明治9年)に福岡県で生まれました。
幼いころから神童と呼ばれ、生涯で5回も海外を旅した超行動派。
吉田博の木版画は、ダイアナ妃や精神分析学者フロイトが所有していたことでも有名です。
●もともとの名字は「上田」だが、中学生のとき美術教師に絵の才能を見込まれて養子入りし「吉田」姓になった。
●17歳で上京。
●23歳のとき、当時日本洋画界のスターだった黒田清輝が率いる白馬会のエリートコースに反発して友人と私費でアメリカへ。水彩画や油彩画で大成功をおさめた。
●当時では珍しく、アメリカ、ヨーロッパ、インドや中国など世界各地を巡った。
●かなりの登山家。
風景画のプロが50歳を目前にしてはじめた木版画
《穂高山》大正期 油彩
吉田博が木版画を本格的に始めたのは、なんと49歳の時です。
関東大震災で被災した画家仲間たちを助けるべく、絵を売りに3回目の渡米をした吉田博は、海外での日本の木版画の人気を目の当たりにしました。
アメリカで質の悪い木版画まで売れるのを見て、「自分が版元になって思うままに作ったらどうだろう」と思い立ち、木版画をはじめます。
すでに日本で画家として評価されていながら、49歳という人生の後半で、木版画の刷りや彫りを一から学んだのだそうです。
行動力の塊みたいな人だったんですね。
外国の風景が似合う木版画
米国シリーズ《レニヤ山》大正14(1925)
吉田博の木版画は海外の風景がとてもよく似合います。
おちついた柔らかい色づかいで、風や日の光まで感じられる描写。
私たちが「版画」ときいて思い浮かべる絵(例えば葛飾北斎作品など)と比べるとその違いは明白で、極彩色の純日本的な版画とは全くイメージが違いますよね。
葛飾北斎《凱風快晴》1831-33年(天保2-4年)頃
※本展にはありません
吉田博の版画は、洋画で培った色彩感覚、陰影や奥行きの表現でこれまでの版画とは一味違った風合いをかもし出しています。
水面とそこに映る風景を描くなど、非常に写実的なのも特徴です。
欧州シリーズ《ルガノ町》大正14(1925)
光や透明感まで表現してしまう木版画
この作品は、ダイアナ妃の執務室に飾られていた版画《瀬戸内海集 光る海》です。
吉田博の版画を目の当たりにすると、「本当は筆でぬってるんじゃないか」と疑ってしまうほど、水や空の光、透明感まで表現されています。
《瀬戸内海集 光る海》大正15(1926)年
下の《帆船シリーズ》のような同じ版をつかった作品群をみてやっと「本当に版画なんだ…」と納得できたくらいです。
時間帯のちがう帆船は、それぞれ背景に変化を加えていて、どれが一番好きかなと考えるのも楽しいですね。
吉田博《瀬戸内海集 帆船より》大正15(1926)
このように同じモチーフを同じ定点で描くのは、モネの《積わら》や《睡蓮》にもみられる、風景画家らしい連作です。
モネ《積みわら – 夏の終わり、朝の効果》1890 オルセー美術館(左)/《積みわら – 黄昏、秋》1891 シカゴ美術館(右)
※本展にはありません
葛飾北斎とモネを例に出しましたが、
こうして比べてみると吉田博の木版画はどちらかというと西洋のテイストに近い気がします。
木版画という日本らしい手法を用いているのに、なんだか不思議な感じがしますね。
"絵の鬼"吉田の重ねまくりの木版画
ところで、みなさんは版画の制作過程をご存じでしょうか。
版画制作は、
「絵師」・「彫師」・「摺師(すりし)」にわかれた分業体制がとられるのが一般的です。
しかし、こだわりが強かった吉田は
自身でも彫りや摺り(すり)の技術を知り尽くしたうえで、吉田専属の彫師や摺師をつれてきて全面プロデュース。
時には自分でも彫りや摺りの作業を行うこともありました。
《溪流》は吉田が自ら彫った作品です。
《溪流》昭和3(1928)
濁流部分の彫りの細かさと言ったらもう!
さらに驚くべきはその「摺り数」です。
版画は色ごとに一回一回 摺りを重ねて制作していきますが、摺り数は十数回が一般的。
しかし、吉田博の木版画では摺り数が平均30回。
下の《陽明門》にいたっては、96度摺りだそうです。
《陽明門》昭和12(1937)
"絵の鬼"と呼ばれるだけあって、版画への情熱も人一倍でしたね。
ぜひとも実物を見てください。
もう描いた方が早いよと、思ってしまうくらい細かいところまで精巧な版画でした。
世界を旅した吉田博
吉田は、生涯に5回、外国を旅しています。
最初の3回はアメリカとヨーロッパ。
次にインドと東南アジア。
最後は、朝鮮と中国を訪れました。
欧州シリーズ《スフィンクス》大正14(1925)
明治から昭和にかけての時代に、
若くして世界に視野を広げていたというのはすごいことです。
登山家でもあった吉田は、ヒマラヤへの憧れからインドを訪れたり、日中戦争中は自ら志願して中国へ渡り、現地でたくさんのスケッチを描いて作品の題材を集めまわっていました。
《フワテプールシクリ》印度 昭和6(1931)
海外の建物や装飾も細かく描き、
その国独特の雰囲気や温度までもが見事に描き分けられている作品たちは、鑑賞している私たちもまるで現地にいるような気分で楽しませてくれます。
《星子》中国 昭和15(1940)
「西洋画家」が手がけた「日本伝統の木版画」というギャップ。
そして、
外国を旅して生で見て感じた
その風景・空気・風や光にいたるまでのすべてを作品に閉じ込められる卓越した技術に、吉田博の魅力がつまっているなと感じました。
《御来光》昭和3(1928)
スケッチブックをもって旅行がしたくなる。
そんな展覧会でした。
とっても楽しかったです。
「没後70年 吉田博展」情報
グッズ
吉田博展のグッズは、
定番のポストカードやクリアファイル、トートバッグなどとっても充実していました。
吉田博の透明感のある版画がグッズと相性抜群でした。
高くて諦めましたが、特に風呂敷がとてもきれいでした。
マスクケースなどもありましたよ。
吉田博展グッズ かりんとう(5個入り)
私はポストカードとかりんとうを購入です。
特設グッズ売り場は会場内にありますので、お財布をもって展示場に入ってください。
混雑状況・所要時間
日曜日の開館30分後に行きました。
まあまあ人はいて、1枚の絵に対して複数人で観ることもあれば、場所によっては一人で悠々と観られることもある、といった程度です。
混雑して居心地が悪いというのでは全くなく、適度なスペースをもって観られました。
1時間半から2時間くらいで鑑賞できます。
チケット・音声ガイド
東京都美術館では事前予約不要だったので、当日券で入りました。
窓口でチケットを購入(全く並ばずに買えました)。
久々の紙のチケットです。
オンラインチケットだと味気なかったのでうれしいですね。
音声ガイドは、 2021年3月28日(日) までの期間限定でネットで無料公開されています。
アプリをダウンロードする必要はありません。
各セクション1解説くらいですが、やはり少しでも特別な解説が聞けるのはうれしいです。
さらに東京都美術館では、東京国立博物館と連携して、吉田博と彼のライバルである黒田清輝の絵画作品が鑑賞できる展示が開催中です。
時間に余裕がある方はそちらも是非!
音声ガイドはこちら▼
開催概要
展覧会名 | 没後70年 吉田博展 |
公式サイト | 特設サイトはこちら |
所要時間 | 2時間弱 |
グ ッ ズ | ポストカードやファイルなど充実なラインナップ |
混雑 | 他人と適度な距離間を保って鑑賞できた。 |
●東京(中止) | 公式サイト/公式Twitter 会場:日本高島屋 会期:2020年9月24日(木)~10月5日(月) |
●山梨(終) | 公式サイト/公式Twitter 会場:河口湖美術館 会期:2019年10月26日(土)~12月22日(日) |
●福岡(終) | 公式サイト/公式Twitter 会場:福岡県立美術館 会期:2020年10月16日(金)~12月13日(日) |
●京都(終) | 公式サイト/公式Twitter 会場:京都高島屋 会期:2021 年1月5日(火)~1月18日(月) |
●東京 | 公式サイト /公式Twitter 会場:東京都美術館 会期:2021年1月26日(火)~3月28日(日) |
●埼玉 |
公式サイト/公式Twitter 会場:川越市立美術館 会期:開催見合わせ(会期未定) |
※公式サイトをご確認ください。
関連情報
吉田博について詳しく知りたい方はこちら。
多色刷木版画はいかにして生み出されたのか、吉田の真摯な生き方や山岳への畏敬、破天荒な行動力を併せ持った生涯を描いています。
版画の作り方について知りたい方はこちらのサイトがわかりやすいです。
吉田博の版画がいかに規格外だったかがわかります。
三菱一号館美術館で「コンスタブル展」が開催中です。
のどかな田舎風景に癒される展覧会です。
東京国立博物館でも開催された「ミイラ展」が全国を行脚中です。
大阪では「リヒテンシュタイン展」が開催中です。
吉田博や、ライバル黒田清輝と同じ時代の西洋画家たちには、ルドンやロートレックもいました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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