東京国立近代美術館に
『眠り展』を観に行きました。
美術展において「眠り」をテーマにしている珍しさ。
そして、いまこの社会情勢においてあえて「眠り」をテーマにしたことの意味深さ。
ずっと拝見したいと思っていました。
「眠り展」 感想、楽しかったポイント
ゴヤの案内で始まる展覧会
『眠り展』は、序章・終章を含めた全7部構成になっていますが、各章のはじまりには必ずゴヤの眠りにちなんだ版画が飾られています。
ゴヤが眠り展を次の章、次の章へと案内してくれているようで、版画の世界観にひっぱられる不思議な感覚。
ここから眠りの物語が始まります。
序章|目を閉じる「眠り」
『眠り展』ときいてまずいちばんに思い浮かべるのは、"眠っている人が描かれた絵"ではないでしょうか。
展示の序章「目を閉じて」では、
そんな私たちのイメージを裏切らない、眠っている人の姿を描いた絵画が並ぶイントロダクションでした。
ニコラ・ランクレ《眠る羊飼女》1730 国立西洋美術館
なかでも 二コラ・ランクレの《眠る羊飼女》は、
女の穏やかな表情とそれを覗き込むとぼけた男のしぐさに、観ている者も思わずにこっとしてしまう穏やかな時間の流れが描かれたなんとも愛おしい作品です。
誰もが思い描く理想的な眠りの導入で、
わたしたち鑑賞者もゆっくりと眠り展の世界に入っていきます。
第1章|夢と現実のはざまの「眠り」
「眠り」と「夢」は切っても切れない関係です。
眠り展の第1章「夢かうつつか」では、夢と現実のはざまの「眠り」が紹介されます。
夢の中では普段の想像力を超えた不思議な世界に没入することがありますが、そんな超現実の世界を描く画家といえば、オディロン・ルドンでしょう。
オディロン・ルドン「ゴヤ讃」より《奇妙な軽業師(左)/胎児のごとき存在もあった(右)》1885 国立西洋美術館
ルドンの「黒の絵画」は恐さをひめつつも目が離せない魅惑的な作品が多く、私も大好きな画家のひとりです。
じつは、ルドン作品は序章でも展示があるのですが、そちらは油彩のカラフルな色彩の作品。
オディロン・ルドン《若き日の仏陀》1905 京都国立近代美術館
このギャップもまたルドンの魅力であり、
それを味わえただけでも本展を観に行った甲斐がありました。
個人的には、ルドンの青は本当に綺麗でいつまでも観ていられます。
映像作品もありました。
饒加恩(ジャオ・チアエン)《レム睡眠》2011 国立国際美術館
台湾の外国人労働者たちが自分の見た夢の光景を語るのですが、現実ではないはずの断片的なストーリーのなかに語り手たちが抱える不安や郷愁の思いが写し出されていて、しばらく見ていると胸が痛くなる思いでした。
もっとも印象に残ったのは、楢橋朝子さんの写真作品です。
楢橋朝子『half awake and half asleep in the water』シリーズより《Murodou,2004》東京国立近代美術館
水際をとらえた『half awake and half asleep in the water』シリーズ。
水が揺らいだ不安定な水面に陸地が浮かぶ写真は、夢と現実をうつろうつろする状態を連想させます。
楢橋朝子『half awake and half asleep in the water』シリーズより《Notojima,2005》東京国立近代美術館
濁った水もあれば、キラキラ光る水もあり、
激しく揺れている水面もあれば、凪いだ静かな水面もある。
人為的でない情景が、思うように進んでいかない夢の中にいるような心地にさせてくれました。
第2章|死の隠喩としての「眠り」
第2章は「生のかなしみ」です。
"安らかな眠り"と表現されるように、「眠り」とは「死」を連想させる言葉でもあります。
塩田千春《落ちる砂》2004 国立国際美術館
ここで目を引くのが2つの「枕」の作品です。
一つ目は、小林孝亘さんの《Pillows》。
そこに眠っていたはずの人の「不在」によって「死」が示唆されています。
小林孝亘《Pillows》1997 国立国際美術館
薄暗い会場に柔らかい光でスポットが当てられている様には、まるでロウソクの光に照らされているような静かな死の光景がありました。
2つ目は、内藤礼さんの《死者のための枕》です。
内藤礼《死者のための枕》1997 国立国際美術館
透きとおっていて雲のように重さがなさそうな枕。
そこに眠るのは、生身の人間ではなく霊魂なのではないか、という気がしてきます。
第3章|意味が隠された「眠り」
「眠り」をめぐる作品は様々ですが、
その作品が描かれた当時の時代背景から文脈をたどると、眠りとは異なる意味合いが引きだされる場合もあります。
第3章「私はただ眠っているわけではない」で展示されている阿部合成さんの《百姓の昼寝》が描かれた1938年はちょうど日中戦争の真っただ中でした。
阿部合成《百姓の昼寝》1938 東京国立近代美術館
国全体が戦争に向かっているなかであえて「眠り」を描くことで、現実から目を背ける様や現実への抵抗という意味をもたせたのだそうです。
第4章|目覚めをじっと待つ「眠り」
第4章は「目覚めを待つ」です。
河口龍夫さんのインスタレーション《関係―種子、土、水、空気》は、チェルノブイリ原発事故に触発されて制作されたそうです。
展示3DVRより 河口龍夫《関係―種子、土、水、空気》1986-89 東京国立近代美術館
植物の種を鉛の鉄に、
種の発芽に必要な土、水、空気を金属管にそれぞれ閉じ込めた作品です。
もちろんそこには原発に対する何らかのメッセージがあったのでしょうが、破壊からの再生(発芽)を思わせる希望的な作品であるともとれます。
この章でとても好きだったのはダヤニータ・シンさんの《ファイル・ルーム》でした。
70点に及ぶ写真のどれにも
どうしようもない程のたくさんの文書の山が写し出されています。
ダヤニータ・シンの《ファイル・ルーム》2011-13 京都国立近代美術館
存在すら忘れられ埋没してしまう文書のなかに、いつの日かスポットがあたり発掘されるものがあるかもしれない。
種子とファイルという一見なにも繋がりがなさそうな作品ですが、このように連続して観ると「眠りからの目覚めを待つ」という共通のテーマがあぶりだされました。
おもしろいですね。
第5章|河原温の「眠り」
『眠り展』のなかで唯一、単独で章構成されているのが河口温さんの作品群。
第5章は「河原温 存在の証としての眠り」です。
河原さんは、自宅やホテルの一室にこもってその日の日付をキャンバスに書き込む「Today」シリーズ(いわゆる「デイト・ペインティング」)で広く知られている方だそうで、私は初見だったのですが非常にシンプルで印象的でした。
河口温《MAY 12,1980,Today(1966-2013)より》1980 国立国際美術館
眠り展ではこのようなデイト・ペインティング作品がいくつか展示されているのですが、河原さんはその1点に"To make a hole in a day as a nap(一日のうちに昼寝のような穴を穿つこと)."という副題を添えてデイト・ペインティングを昼寝に例えていたのだそうです。
解説にはこう書かれていました。
密室にこもっている河原の部屋の外にいる人からは、彼が起きているか寝ているかもわからない状況下、独りで描かれた作品が、その日確かに作者が存在したことの照明となっているのである。(中略)しかし相手方に届く時に彼が「まだ生きている」ことの保証として、その絵葉書は機能しない。こうした作品を前にするとき、観る人は、生と隣り合わせの死について、否応なしに想起させられる。
なんて思慮深い解釈なんだと思いました。
「眠り」というテーマにこの作品を持ってきてくれたこと、それをこうして知ることができたことを大変うれしく思います。
終章|いま、「眠り」をテーマにした意味
金明淑《ミョボン》1994 東京国立近代美術館
2020年は世界中でとても苦しい年になりました。
いまでも、それはつづいています。
そのような社会情勢において「眠り」で思い浮かべるのは、決してまどろみのなかの平和的な意味だけではないと思います。
そこであえてこの「眠り」をテーマに選んだのはどうしてなのか、とても興味がありました。
終章「もう一度、目を閉じて」で最後に伝えられたメッセージは、自身を見つめなおすための「眠り」の提案です。
これらの絵に描かれた人物は、見る側である私たちを見返すことはない。そのことは、見る側に一方的に視線を向け続けることを誘発する反面、見る側に目を閉じることを促す側面もあるだろう。(中略)
これまで経験したことのない事態に身を置くことを余儀なくされた現在、そして、この事態がいつ終息へ向かっていくのかすら見通しの立たない現在、今一度立ち止まってこれから生き方を深く考え直すべき局面に来ている。眠る人、目を閉じる人を描いた絵を前にすることは、私たちにこれまでの行動を振り返らせ、「新しい日常」をいかに構築し、その中でいかに生きることが可能かを考えるためのヒントをもたらすに違いない。
この『眠り展』は、根拠のない希望や勇気を押し付けるのではなく、私たちに静かに目を閉じて自分を省みて「つぎにまた目覚めるための眠り」について考えさせてくれるものでした。
海老原喜之助《姉妹ねむる》1927 東京国立近代美術館
楽しかった。
鑑賞できてよかったです。
「眠り展」情報
デザインがすごい
『眠り展』は会場となっている東京国立近代美術館だけではなく、日本の国立美術館6館の合同展なのですが、会場の設計やグラフィックがとても思考を凝らしたものになっています。
例えば、フライヤーです。
通常、展覧会のフライヤ―には展示のメインとなるアート作品が大きくとりあげられますが、この『眠り展』ではあえて作品を置かずにグラフィックデザインだけで表現されています。
曲線的で柔らかい印象ですよね。
展示3DVRより 展示風景(会場入り口)
会場には風に揺らめくカーテンを思わせるグレーの布と、それに合わせた角が少ないグラフィックが使われていて、まるでベッドルームに招かれたような感覚になりました。
東京公立近代美術館の公式Youtubeでは、デザイナーや設計を担当した方々のインタービューが公開されています。
こんなことまで考えてデザインされているのかと驚かされる内容です。
グッズ
『眠り展』のグッズは、美術館のグッズ売り場のなかで数種類だけ販売されていて、私はポストカードを購入しました。
グッズ(一番左は作品リストです)
本展とは関係ないのですが、レジ横にあったこちらのピンバッジも一目ぼれして会計をしている短い間に購入を決めたかわいい子です。
この子の作者さんのホームぺージも貼っておきますね。
撮影スポット
展示のほとんどが撮影できます。
展示会場を出たすぐのところに撮影スポットがあり、先述したYouTubeのインタービューもここで撮影されています。
展示3DVRより フォトスポット(会場出口)
壁には羊が。
こんな細かいところまで見どころ満載な展覧会なのでした。
展示会場を3DVRで無料公開
残念ながら2月23日で終了してしまった『眠り展』ですが、美術館のホームページでは自宅から展示会場をのぞき見できる3DVRが無料公開されています。
作品もある程度は観られますし、
会場の雰囲気やご紹介した設計・グラフィックデザインなどが体感できるのでおもしろいです。
見逃した方も是非のぞいてみてください。
展覧会情報
展覧会名 | 眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで |
公式サイト | 公式サイト/Twitter |
会期(終) | 2020年11月25日(水)~2021年2月23日(火・祝) |
会場 | 東京国立近代美術館 |
チケット | 一般 1,200円 |
所要時間 |
1時間程度 |
混雑 | 会期終了間際に行ったので大変混雑 |
グッズ | 少しだけ |
音声ガイド | なし |
撮影スポット | 展示のほとんどが撮影可 会場を出たすぐのところに撮影スポットあり |
関連情報
会場となっている東京国立近代美術館の所蔵作品がつまった1冊です。
眠り展では、「ピーター・ドイグ展」の壁を再利用しています。
言われなければわからないくらいです。
大阪では『リヒテンシュタイン展』が始まりました。
王家の至宝がつまったお姫様のようなロマンチックな展示になっています。
富山では『ミイラ展』が開催中。
こちらも眠り展とは別の角度から生と死を見つめなおす展示になっています。
都内でルドンを持つ美術館といえば三菱一号館美術館です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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